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静内駅前の花壇整備

地元の商工会からの依頼で派遣されたのは、2008年(4月と7月)でしたが、事前に現地を見せてもらわなければと思い、2月に訪れました。静内駅前の花壇ⓐⓑは地元ボランティアの方々がいつもよく整備されているとのことでしたが、一番外側ⓒは手入れが行き届かず荒れていました。

整備後の静内駅前の様子(2回目の講演会プレゼン用に作成した画像)

 

胆振東部から日高の沿岸はほんとうに雪が少なく、羨ましかった。しかし海岸付近は風が強く、木がまともに育たないない傾向は何処も同じ様です。

静内駅の様子

 

荒れ果てていたⓒエリアの草や雑木は、講演会・現地指導の当日まで、打ち合わせ通り整理する約束をして帰路につきました。

 

 

4月の講演当日、後半の一時間で植え込み場所の残土や石が取り除き、土壌改良をして既存苗の移植実習でした。

 

 

7月は中央のメイン花壇ⓐⓑと同じ雰囲気にならないよう心がけてもらいました。入手が比較的易しい宿根草と花木(カラーリーフ系)を中心に植え込みました。予算の関係で、既存のヤエザクラと安価な一年草も利用しています。参加者が10名くらいだったので、所定時間内で終了でした。

2班に分かれて植え込みです

 

 

道内の中小都市は国道などのメイン道路沿いに大型店が軒を連ねています。ここ静内(現:新ひだか町)も同様です。JRの廃止によって駅前が寂れるのではと心配しています。

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北方樹木保存会

 

今から40年ほど前、十勝地方に個人で樹木を生産している人たちの同好会がありました。すでにほとんどの会員は他界され、私がおつきあいしていた方はたったひとりになってしまいました。その方は元気なのですが、10年ほど前に、子供に迷惑をかけたくないと、自ら探した施設に入ったそうです。3年前に訪ねたところたいそう懐かしがっていただいたのです。時間を忘れて当時のことを語り、今年も訪ねる予定でしたが、新型コロナで面会が出来ず、来年に期待をしています。

 

この方もお世話になった会員Sさん(清水町)、閑散期には清掃奉仕団団長として毎年皇居へ。

陛下から顔を覚えていただいたとうれしそうに話していました。
この日、小さな包みをいただいた。なかに菊の紋章入りのたばこは入っていたのです。

 

当時の会員さんは、清水、鹿追、音更、帯広、中札内、足寄、池田、陸別などで、地元業者との取引がほとんど。峠のこちらから行っておつきあいしていた人はあまりいなかったようです。先日、古いアルバムの中から音更でエゾムラサキツツジ専門に生産していたMさんの写真が出てきました。花色が深紅の株を選抜。根伏して数株ほど増殖中で、虎の子の一株をいただきました。これが将来、紅花エゾムラサキツツジとなって、世の中に紹介されることになったそうです。

実生選抜されたエゾムラサキツツジ群のなかに、鮮やかな濃紅色の花が(青矢印)

 

ツツジ類の実生苗は大変手間がかかるので、かなりの割合をこの方たちに依存していました。盆暮れには皆さん集まって温泉に浸かり、カラオケを楽しみながら友好を深めていたそうです。そんな古き良き時代が訪れることはもうないでしょうね。

 

天国のMさんに感謝!当時の子孫は元気ですよ

 

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国道231号線を行く(5)増毛町

231号線の終点ひとつ手前の増毛(ましけ)町は7年ぶりだ。最近になってJR留萌本線の増毛ー留萌間が廃止になり寂しくなったが、酒造会社、果樹園、歴史ある町並みがあり、観光客がよく訪れる。このところ新型コロナで厳しい状況が続いているが、何とか乗り越えてほしい。

 

高倉健出演の映画「駅」のロケで「風待食堂」として使われた歴史ある建物

現在は旧増毛駅前にある観光案内所となっている。この温もりがなんともいえない!

 

そうこうしているうちにすっかり遅くなったので、留萌経由で帰路につく。今回は取り留めなくドタバタと走っただけなので、いずれあらためて訪ねてみようと思う。

 

 

 

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国道231号線を行く(4)浜益-雄冬

 次はかつての難所、送毛(おくりげ)地区。2014年、新しいトンネルが出来たので、難なく通過。しばらく海沿いを走ると急に開けたところが浜益の市街で、信号交差点を右折すると新十津川、滝川に通じる国道451号線。旧送毛トンネルができる前はここを通って札幌に行ったそうだ。

 

 

市街地の東には標高739メートルの印象的な黄金山(浜益富士)

 

 浜益村中心部からしばらく進むと、かつて「陸の孤島」と呼ばれた雄冬(おふゆ)に着く。当時、陸路で浜益からは無理で、増毛側から山側を迂回する増毛山道(現在は非公開)があり、幕末の探検家・松浦武四郎がこの道を何度か通ったそうだ。しかしこの山道も冬は閉鎖されていたので船が唯一の交通手段。海が荒れると長い間孤立したとのこと。

 

集落の少し手前にある白銀の滝が疲れを癒してくれる。

 

 雄冬の集落は、道路が開通し便利になったにもかかわらず人口が流出し続け、今では風前の灯。集落にあるドライブイン兼民宿のサイト「レストハウス雄冬には食事メニュー以外も紹介されていて興味深い。よろしかったらどうぞ。

 

展望台のある山頂に向かう途中、柱状節理が見られる

 

増毛に向かう途中に、今にも崩れ落ちそうな岩があった

 

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国道231号線を行く(3)厚田-浜益

旧厚田村と旧浜益村の境に濃昼という集落がある。アイヌ語地名「ゴキンビリ(岩と岩の間つまり山の陰、滝つぼにしぶきが舞う)」の当て字で「ごきびる」という。思わず聞き返す読みに驚く。(ちなみに留萌管内苫前町に力昼(りきびる)がある。)かつての国道は海岸沿いにトンネルがあり、漁港、キャンプ場付近を通っていた。現在は集落の外側に新しいトンネルができたので、用事がないと通過してしまう。


 

新旧国道の他に濃昼山道があり、当初は厚田市街寄りの安瀬(やそすけ)までの約10km。江戸幕府の命で濱屋与三右衛門によって切り拓かれ、安政4(1857)年に竣工したそうだ。昭和46(1971)年、国道の開通により利用されなくなって荒れ果てたが、山道からの良好な眺めと歴史的経過を後世に伝えようと地元のボランティア「濃昼山道保存会」が結成された。10年の年月をかけた努力が実り、山道がよみがえったそうだ。

 

現在の国道から濃昼地区への道路標識

 

濃昼漁港付近の奇岩と

 

 

よく崩れないですね。驚きです。

 

 

難しいことはわかりませんが、こじんまりした港は今も昔も地元の人々の命綱であることに変わりはないと思う。わずか数十名の集落がいつまでもありつづけてほしいと願い、出発した。

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